扉のありか

「存在しないことの証明」はこの世で最も難しいことだという。


何かの本にそんな一文があった。


言われてみれば、そうだなぁと思う。


僕は、自分を「たぶん大丈夫だろう」程度の根拠のない予測で、動けてしまう人間だと思う。


その根底には「絶対安心だ」なんて口で説いて納得させるより、やってみせた方が早いし確実に納得してもらえるという思いがあるのかもしれない。


ちなみに僕が「だろう」程度の楽観で動けるのは、自分が痛い目を見るかどうかで済むことだったりする。


他人を巻き込んで取り返しのつかない事態になるとか、仕事として責任を負わなければならないようなことには慎重になるような気がする。


いたずらに人を怖がらせるようなことを言ったりやったりしてはならないし、偽りで安心させるようなこともあってはならない。


真実への扉はいつも開かれていて、誰もが欲するときに出入りができる。


そんな扉の所在をごまかし、遠ざけるような情報のコントロール、意図的な操作が多かれ少なかれ、この世にはある。


そのことをもっと、知ろうとするべきだと思う。