道草とトロフィー

自分に「賞」というものが必要だろうかと考える。


僕は曲を作って歌う活動を自主的にやっているので、今までなにかしらの賞に応募したことがある。


最優秀の一歩手前くらいの賞ならもらったことがあるが、一等賞みたいなのはもらった記憶がない。


そのとき1番になれていたら、今の状況は変わっていただろうか。


よくわからないが、なれていたとしたら、ハイウェイの通行証みたいなものを与えられて、スピードに乗って好きな場所を目指せていたのかもしれない。


万年一等未満、門外漢の僕は今もなお地続きに「シタミチ」を行っている。


車に乗ったり電車に乗ったり、歩いたり走ったり。自転車も大変好きである。


ゆっくり歩めば、ゆっくりなりに出会えるものがある。スピードに乗れば、情報の密度は引き伸ばされて画素が粗くなるようなものだ。自分の時間あたりに受容可能な情報量が多い、すなわち自分の情報受容のスペックが高ければ、高速道路からでも干からびかけたミミズとそれを囲むアリの様子なんかがキャッチできるような曲芸も可能なのかもしれないが、さすがにそこまでの能力を持つ人は稀だ。凡人、天才をこえたところの、超人というにふさわしいような人も、確かにたまにはいる。僕がそれを目指すのは賢明ではないことは自明である。


話がそれた。「賞」の話だった。道草を食いやすいのも「シタミチ」道中の特徴である。道の草の界隈も、そのご町内は資源豊かで見れば見るほど面白い。僕の好きなハーブの類も、ハーブといえば聞こえはいいが、もともとは西洋の雑草みたいな身近な存在のものがほとんどだ。日本のヨモギやシソなんかもいい匂いがする。


どうも真面目に「賞」の話にならないのは、僕が求めていないからだろうか。欲しそうにしていないやつに一等賞をあげようという気にはならないのかどうかは、審査する側に立ったことがないからわからない。これを機会に、ちょっと想像してみようと思う。