共犯者の微笑

環境をつくるのは、大変なことだ。

自分を変えることよりも難しい。

でも自分を根本的に変えるためには、環境から変えるしかない。

結局のところ、何かを根本的に変えるための環境づくりというのは、大変なのだ。

ひとたび環境がととのってしまえば、そこで人もモノも育つ。

初期投資をケチらないこと、みたいなビジネスの教訓にきこえるだろうか。

大変な思いをしてでも、人やものを成長させつづけ、生産しつづけ、未来をよりよく変えていきたい。そんな強い意志が環境を変えさせるのかもしれない。

僕は生まれた街に31年間住んでいる。
自分の求めるものに合わせて、自分の生きるステージを転々とできる人を尊敬してしまう。

僕は引っ越しをほとんどしたことがない。結婚したときに同じ町内で住む家を移ったくらいだ。いまのところ2つしか住んだ家の経験がない。

求めるものに合わせて、自分のステージを転々とできる人、もしくは大変な思いをしてでも環境を変えようとする人が、必ずしも強い意志のみによって動くわけではない。

その人をそうさせる要因が、この世のバランスの中であらわれただけのこと。そんなふうにも思える。

僕みたいな地元に根を張った出不精が、アクティブな放浪者を支え、育んでいるのかもしれない。

なんだ、僕も一枚噛んでいる。共犯じゃないか。なんて、ちょっとほくそ笑んでみる。