何に使える?

テーブルの上のお皿に乗った料理が2皿あるとする。
片方は、いちど床に落ちてしまったものを拾い上げ、再びお皿に戻したものだ。

双方に物質的な違いはさほどない。落ちた方には床のホコリやチリ、雑菌が混じったかもしれない、程度の違いだ。

家畜に食べさせるとか、肥料にする目的だとすれば、この2皿の価値に差はないだろう。あるとすれば、片方の料理についてしまったホコリやチリ、雑菌の質量程度の微々たる違いだ。

人間が食べるとなると、2つの皿の料理の価値には大きな差が出てくる。落ちてしまった料理にお金を払う人はいないだろう。衛生観や社会的な観念が大きくはたらく。物質的な違いはほとんどないのに、安全性だとか尊厳といった、直接的な物量と離れたところにあるものを、人間は重んじることがある。

誰がどんな目的で使用するかによって、そのものが価値をもつかどうかが変わってくる。

下宿人が共用の雪隠(トイレ)で排泄したものを溜めて、大家は農家に売っていた。そんな時代があるらしい。「排泄はなるべく外出先から戻ってからウチでしなさい」と、大家が呼びかけていたくらいだそうだ。人糞をお金を出して買う人がいたのである。現在の日本ではほとんどの人が、下水道料金を支払って浄化処理をしてもらっているだろう。

めんどくさいとか、気付かなかったという理由で、価値をもつ可能性を秘めたものが見過ごされている。そんなものが、どんな時代にもかならずどこかにある。人が気付かないところに着目したり、「めんどくさい」を覆すような技術を開発したりすることで、新たな価値を生み出しもするし、その時代を生き抜く術にもなる。

たくさんの人の考えが及んでいないことってなんだろう。それを考えることから未来は始まる。