新月

「こういうものをつくろう」とイメージをして、それを実現しようと向かっていこうとすると、その道のりや徐々にできあがるモノのあきれるほどのつまらなさに、僕は必ず動き出してすぐに嫌になってしまう。こんな、見たことのあるようなものはつまらない。すでにある。わざわざ自分が労力を割いてつくりあげる必要なんてない。そう思ってしまう。


自分にとっておもしろいモノができあがるときって、必ず僕の場合は、自分でも予想しなかったものだったり、明らかに想像を超えたものだったりする。

自分がこんなものをつくりあげるなんて、夢にも思わなかった。そう思えるものしか僕にはつくれない。その限りでないものは、ごく始めの段階で嫌になってしまうからだ。


もちろん僕にとって思いもしなかったというだけで、結果的に出来上がったものを見て、似たようなものをどこかで見たことあるよと思う人は多いだろう。僕の生み出すものなんてたぶんそんな程度のものだ。


プライドが無駄に高いのか、想像力が乏しすぎるのか。


ひとたび想像されたものは、すぐさま過去になる。1秒、1分と経つほどに、それを想像した時点の自分から見て、未来の自分になっていく。


どんな方向性を目指すか程度の、最初の一歩を踏み出すためのきっかけは必要かもしれない。


ひとたび滑空を始めたら、その間に自分も成長するし、刻々と風向きも変わるから、どこまで行けるか、着地までの距離はどんどん伸びていくし、着地点も変わっていく。


ここからすでに見えている場所にいくのが、僕はつまらないのだろうか。

どうせなら、今いる場所からは見えないところにいきたい。隠れているだけで、距離的には近いところにも、「こんなふうになっていたのか!」はたくさんある。


まだまだ遠くへいけるかもしれないのに、「いついつにどこどこに着地します!」なんてふれまわることはない。


何を書こうか。何を表現しようか。何を生み出そうか。いろいろあるんだけど、手が止まってしまう。そんなところから、ものごとははじまる。白紙でなければ、新たな絵は描けない。頭の中のざわつきを、まずは静粛に。