熱伝導率

会って話したことの内容を外に出す目的がなくても、人と人は会う。会おうとする。

それが1番贅沢で、貴重なことのようにも思える。目の前の相手は、目の前の自分のみのために、その時間を使ってくれているのである。

人に話すことで、見つける自分がある。

そうか、僕はこう考えていたんだ、なんてことを、その時初めて知ったりする。自分ひとりでは考えてみようとも思わなかったところに導かれたりする。話しながら考えて、言葉にすることで「言葉以上のもの」の性質を確かめて、手で触って匂いを嗅ぎ、秘めたる音を聴こうとする。

話したことを外に出す目的があっても良いのだけれど、そういったことを気にせずに話しているときほど、「会話の五感」がひらかれるように思う。

「会う」というコミュニケーションは、言葉を交わすことだけがすべてではない。

一緒に歩いて共通のものを見たり、言葉のキャッチボールじゃなくて、ほんとにボールを投げ合って、受けとめ合ったっていい。ミュージシャンの音のやりとりにだってコミュニケーションは含まれる。

音にも匂いがあるし、匂いにも手ざわりがある。言葉や態度にも、温度があるみたいに。

熱伝導率というものがあって、何が何に、どれだけ温度を伝えるかは、それぞれに違う。

熱伝導率が高い、すばやく温度をたくさん伝えるものや人は、リアクションが早い。

ゆっくり温度を伝えるものや人は、反応は遅くても、長く長く温度を保つ。

それぞれにいいところがあって、得意なことがある。布でくるんだりとか、別のものややり方を使って、それを補ったり助けたりすることもできる。

あらゆる人やモノの「温度を伝える力」がどれくらいかを把握し、采配できたら、この世はかなり楽になるかもしれない。