Made in ウチの庭

富士山と聞いて、みんなが思い浮かべるものはどんなだろう。

登ったことのある人もない人もいて、さまざまだろう。銭湯の壁画を思い浮かべるなんて人もいるかもしれない。

共通したひとつの言葉から思い起こされるものは、人それぞれである。固有名詞ですら10人いれば10通りの富士山があるのだから、一般名詞や他の種類の単語からも、何を想起するかは人によって違う。

翻訳が難しい、概念的な言葉も多い。「もったいない」や「おもてなし」なんかは、その言葉のまま世界的に有名になった。その言葉が生きて活躍する現場を目の当たりにする以上に、そういった言葉を体得する手段はないだろう。

言葉は生き物だ。使う人や状況、地域によってもその言葉の示すニュアンスが違ったりする。

スパイスやハーブなんか、産地によって香りが違ったりする。うちのレストランの野菜はどこどこ産のものです、とか、ウチの畑のトマトは普通のトマトと一緒にされちゃぁたまんないね、なんて具合に店主や農家がアピールするみたいに、同じ種類にくくられるものでもそれぞれに固有の「匂い」が備わっている。

言葉にもそうした「匂い」があって、嗅いだ人にしか本当にはわからないし、さまざまな匂いを嗅ぐほどに、その言葉は立体化されて奥行きを増す。

これもトマトだし、あれもトマト。

こんなのも音楽だし、あんなのも音楽。

親しみを込めた感謝もあれば、かしこまった感謝もある。

共通点を見つけて、同じひとつの言葉で言いあらわす。それが言語。今日も服を着たり丸裸で生まれたり、そこらで声をあげている。