心の中の短冊

短冊に願いを書いて、笹にぶら下げる。

一見、笹に書くだけで神様みたいな存在に願いを実現してもらおうというような、他力本願なおこないにも思える。

短冊に願いを書くことは、ハードルが低い。この内容を実現するために、具体的にこんなことに取り組みますよというような公約でもない。責任もない。

後先考えずに書いていいような類のものである。

短冊に何を書くかを考えることで、自分の願望を言語化して確認することになる。

それだけでも結構な意味のあることのように思える。

普段自分が漠然と願っていると思い込んでいるようなことも、いざ、わざわざ短冊に書こうかと考えるとき、手が止まるようなことはないだろうか。

短冊に書くという、ハードルの低い行為にさえしたためられないようなものは、自分の本当の願いとはいえない。

人のおこないは、「有言実行」とか「不言実行」とか言い表されることがある。

短冊に書いたくらいで「有言」といえるかどうか疑問であるが、見る人には見られる可能性がある。学校で先生に書かされて校内のどこかに掲げられたりするとなると、狭いコミュニティの中では人の目が気になって本当のことなんて書けないかもしれない。

自分の心の中にだけ掲げる短冊を、年に一度くらいは書いてみても良いと思う。

それを七夕前後の1週間くらい、胸に持ち歩いて変わることがあったら、それはその人にとって本当の願いだったといえる。

心の中の短冊は、決して人に見せてはいけない。見せていい短冊は、笹にぶら下げて好きなところに掲げればいい。