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「ある・ない」をめぐる遊びの普遍的さといったら、圧倒的なものがある。

世界中だれでも一緒になって楽しむことができる。

マジック(奇術)なんかがそうで、大きな舞台でたくさんの演者、裏方、お客さんを動員し、人間ひとりが「消えた・消えない(ある・ない)」をめぐって大勢が楽しんだりする。

有名人の恋愛報道なんかも、「事実のいないない・ばー(ある・ない)」に大勢が関心を抱いている状況なのだと思う。

僕個人はだいたいあって当たり前と思っているから、「ホラやっぱりあるじゃん!」的な面白がり方に品のなさを感じてしまう。

お金(収入)や学力がある人が謙遜して「ありませんよ」というのを、あちらこちらからつつきまわしてくすぐり回し、自白させるような行為に近い。

そもそもこの世に存在しないものを想像するというのは、ハードルの高いことである。想像できるようなものは、たいていもうすでにあるものか、近い将来実現しうるものである。

多くの人が想像しかねるようなものを想像し、それに向かって暗く道なき道を切り拓いていく先にあるものこそが、僕らのまだ見ぬ発明品である。

どんなに人々の生活をくつがえすような偉大な発明品も、その始発駅となるのは「いないいない・ばー(ある・ない)」遊びにちがいない。