見通しの悪い、狭くて物の多い路地が好きだ。
角を曲がったら次は何があるのか、わくわくドキドキする。
鳥のように天上から見たら、ごく限られた範囲の地域を歩いてごみ箱を漁り、お宝を見つけたといって喜んでいるような状況かもしれない。
高速道路よりシタミチの方が好きだ。
特急列車より鈍行列車が好きだ。
自転車に乗るのは好きだけれど、歩きの方がもっと道にあるものをじっくり見られる。出会える。
同じ道でも、どんな方法で行くのか、急ぐ必要があるのかで、出会えるものの量がまったく違う。
急いで行ったら、出会いをすっとばして稼いだ時間で、行った先で何に出会うのか。
そこに価値を見出すかどうかで、わざわざ急いで遠くに行く必要があるのかどうかがわかるだろう。
どこに行きたいか。
どこで生きたいか。
目的地が先にある生き方もある。
目的地なんか決めずに、行きたい道を趣くままに行く生き方もある。
すごく遠くに行きたい人は、どれくらいの労力や時間がかかるのか予定を立てながら進まないと、手遅れになる可能性もある。
たとえば10年かけて、世界の裏側をまわって一周して帰ってきた人と、地域のごみ箱を漁り続けた人の生き方に優劣はない。
世界の裏側をまわって帰ってきた人の方がカッコ良いとか尊いと思えてしまう場合は、商業的な意図によってそういったイメージが植え付けられている側面を自覚するべきかもしれない。
たどり着きたい目的地が本当に大事なのか。
趣くままに歩く道沿いに出会えるものが大事なのか。
そのバランスをとりながら、僕たちは飛行機に乗りもするし、2本の足で歩きもする。
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