買ったのに読まずに埋もれている本が、わたしの家にはたくさんあります。買ったことを忘れてしまっているものも中にはありますが、買ったことを覚えていて、なにかのふしにそのことを思い出して、ひっぱり出してきて読み始めるということがあります。
人間関係においても、知り合っていたけれど、深い仲になったのはあとになってからということがありますね。「あいつとはもともと地元の同級生だったけど、最近仕事で関わったのをきっかけに会う頻度が増した」というような。
わたしは、じぶんの人生を遠回りだとつくづく思います。目指すところがないわけではないのでしょうけれど、最短距離で直行してそこに至ることを拒んでいるかのようです。また、その道における「想定外」をたのしんでもいます。
目指すところというのも、「じぶんがいちばん重んじているおこないを積み重ねた先にたどりつくところ」くらい抽象的なものです。ですから、それが具体的にどういうものになるのかがわたしにはわかりかねるので、そこに至る未来のじぶんと出会うたのしみがあります。
また、その道のりには偶然が絡みます。運も絡みます。さまざまな個のものがバラバラに、それでいて干渉しあいながら(抽象的な)めざすところへ向かう道のりは、ますますわからなくて想定外に満ちたものになるはずです。
ものを知る手段が多くなり、容易に知れる情報システムができてきたからこそ、知ったり知り合ったりしてから、じっさいに深い関わりになるまでの時間が、いままでよりさらにさまざまになったのかもしれません。
お読みいただき、ありがとうございました。