浸透圧

20代後半くらいまでの大半を、僕は高齢の方とあまり関わらない過ごし方をしてきたと思う。


2016年4月から、僕はそれまでの職を変えた。新しい職場はある公共の施設で、地域の人がたくさん出入りする場所だった。


僕は、それまでよりいくらか、自分とはまったく違った性別、年代、文化的背景を持っている人たちのことを見知るようになった。


見知った人たちの中の何人かを、僕は特に尊敬している。いろんな性別や年代の人が含まれている。高齢者の方もいる。彼や彼女たちのことに興味を持てるようになったのは、今の仕事に就いたおかげだと思っている。


単純接触効果というものがあるらしい。頻繁に会う人に対して、好意を抱くとか、親しみを感じるといった気持ちが起こりやすくなる現象のことだそうだ。


僕が、今の仕事に就く前よりもさまざまな人や物事に対して関心を抱くようになったのは、この単純接触効果なるものなのだろうか。様々な人と接する機会が増えたことは、間違いない。そういう環境に身を置いたことが、自分に変化をもたらしたのだ。環境が変われば、人も変わるということか。変えたい人がいるならば、その人の周りの環境を変えることで、その人が変わる可能性も高まるのだろう。


認めることで、認めた対象は、自分の一部になる。他の人が、ぼくやわたしのことを認めさえすれば、ぼくやわたしは、ぼくやわたしを認めた人の一部になる。


いやいやを言ったり、故意に無視をしたりすることで、人は孤立するのかもしれない。本当の意味での孤立なんてものは、ないようにも思える。


孤立を演じていることを認めて欲しい人がする、周囲へのアプローチのことを孤立とする考え方も立つ。そのアプローチはきっと、周囲との関係をアンバランスにする。アンバランスな関係において、特定の部分にばかり負荷がかかると、その部分がこわれて、簡単には修復ができない事態になるかもしれない。


浸透圧というものがあるらしい。その差異によって、物質の水分が、物質と物質のあいだを出たり入ったりするらしい。


どこかにボチャンと入ってみれば、入ったものは、その環境になじむ。影響しあって、その環境の一部になる。命の源である、水分をあげたりもらったりするはずだ。


認める・認めないなんてことが、ひどく高慢なことにも思える。鈍くて重ったるくて、みみっちい概念だなぁと思う。そんなことの如何に関わらず、水はもう、動いている。