昨日実家に行ったとき、母の友人が来ていた。
昔から不定期だけど確かな頻度でおいでになる人で、僕の幼少期から31歳までの成長をだいたいご存知でいらっしゃるような、古く長い付き合いのご友人だ。
昨日、その方の白髪が増えたことに気がついた。
僕はそのとき、歳をとるっていいなぁと思ったのだ。
昔からベリィショートで髪型の変わらない人だった。
黒々とした頭髪のイメージが今でも思い出せる。
昨日お見かけして僕の記憶に焼きついたお姿は、なんとも品のある風格を感じさせるものだった。玄関から一枚引き戸を開いて、ダイニングにおられるところに「こんばんは」とひと声かけたわずか数秒の間のことだった。洗面所に移動して手を洗いながら、僕はその加齢による変化と品や風格のことを考えた。
年齢の話を避けたがる人がいる。30代以降の女性などに多いかもしれない。ものごとをはかるただの基準として聞きたいだけなので、僕は知りたいと思ったときはなるべく率直に訊ねるようにしている。そのときの反応ひとつでも、相手の価値観を垣間見ることができる。話題にしたくなさそうな雰囲気を察知したら、それ以上の追及はしない。年齢をたずねただけで、失礼なやつと思うひともいるかもしれない。多少過小評価された状態からはじめた方が、そのあと上方修正してもらえる余地がある。別にどう思われようと構わないが、過大に期待されてがっかりされるよりは良いかもしれない。
僕は自分の見た目をそんなに小綺麗だとか、品があるようには思っていない。わざとそうしているのかもしれない。どちらかといえば路上に落ちた食べ物をひろって食いそうなほうだし、実際自分が落とした食べ物だったら地面のコンディション次第ではひろって食べる。
あの母の友人のような品と風格が、僕にも身につくだろうか。
ご友人のそれは、お高くとまったそれでは決してない。
日々の平凡で着実な生活、その道の地べたに沿った先にある品、風格である。
そのご友人は、詩を書く人だ。
僕の母も書く。
僕も、場合によっては書く(歌詞だが)。
生活を歌いたいと、よく思う。
実際そうしているつもりだけれど。