憶えているというだけでは、考えたことにはならない。
考えただけでは、行動したことにならない。
行動がかならず、結果につながるとは限らない。
結果さえ出れば、自分はなにもしなくていいのだろうか。
行動してさえいれば、考えなくていいのだろうか。
考えてさえいれば、忘れてしまっていいのだろうか。
考えはじめるのにも、きっかけが必要だ。
それは記憶をかえりみたり、事実を確かめたり、快適だったり不快だったりと、なにかを感じたり気付いたりすることからはじまる。
過去にあったことを嘆きあっても、問題の解決にはならない。
嘆きあったならば、
考えあい、
行動しあい、
結果を確かめあって、
また嘆き、考え、行動し。
これらの段階に、順序を強いることもない。
どこから入ってもいいし、瞬時にどこに移動してもいい。
井戸端で嘆き合うおばちゃんのこころを、毎日満員電車に揺られて出社するおっちゃんたちに。
タクシーなしには病院にも行けない高齢者のこころを、若者に。
現場で汗水流して危険な目に合っている作業員のこころを、研究者たちに。
毎日身近なことに一喜一憂して感情をあらわにするこどものこころを、すべてのおとなに。
どこから入ってもいいし、どこから出てもかまわない。