テレビはあまり見ない。
本をよく読み、夜は早く寝る。
起床は早い。
これらはすべて、僕の父の特徴である。
そうした姿を見て、いつも疑問に思っていた。
テレビはいくら観ても見足りないほどおもしろい。
だから夜はなるべく限界まで起きて、あらゆる種類のくだらない番組を見漁り、ほとんど朝になってから床に着き、どんなに早くとも昼過ぎまでは寝ていたいと思うのが日常だった。
こんなに楽しい夜更かしを差し置いて早く寝るなんて、なんてもったいないのだろう。
ずっとそう思って父と同じ屋根の下で育ってきた。
それがどうだろう、最近の僕ときたら、父そっくりである。
テレビは関心がないわけではないが、あまり観ない。観たいとも思うけど、早く寝ることを優先してしまう。だから、録画が溜まる。
本はいくら読んでも読み足りないほど面白い。
朝は早く起きている。
この変化が、僕自身が父親になったことによる影響なのか、単に歳をとったからなのか、よくわからない。
ただ、より優先したいことに従った結果である。
テレビは、妻がつけた気象予報か子供番組を目にすることが多い。
息子(1歳4ヶ月)がぐずった時の逃げ道である。
「これでいいのかね…」なんて、顔を見合わせて嘆いている。
5年以上前(学生~独身だった頃)に大ハマりしていた深夜アニメを、今での名残のように大量に録画するが、消化しきれず9割以上が手付かずである。番組タイトルを読んで、面白いかどうか判断がつかない場合にとりあえず録画するのでこういうことになる。いつやめてもよい、惰性のような習慣である。(実際、9割以上は面白くない)
歳をとるとNHKに傾倒する現象は非常に興味深い。
CMがないぶん、内容を時間で割った時に結果として密度が濃い。
スポンサーに縛られない内容が作れるのも大きいのかもしれないが、この業界については僕は無知である。
電波が受信できる環境が存在するだけで受信料をとろうとするのもなかなか大胆なシステムである。
共謀罪に似てるなぁなんていま思ったが、その是非まで語るには勉強が足りないので、この点についてはまたの機会にとっておく。
「触感」について研究している人たちが書いた本をちびちび読んでいるのだけれど、冒頭で「現代における視聴覚情報への偏り」が指摘されている。音も光も結局はその波長が器官に触れている現象に等しく、五感すべては「触覚」によるものであるといったようなことも、彫刻家の高村光太郎の著書からの抜粋を交えて語られている。
テレビやパソコンの画面を介さずに「触れること」が面白い。
それは今も昔も変わらない。
31歳の僕もそう思うし、1歳の息子も同意してくれることと思う。